小学生不登校

【小学生不登校ブログ】①強迫性障害(OCD)による強迫観念の始まり

2023年現在、小学校5年生の娘は、1学期が終わる7月中旬から不登校です。

娘に今起こっていることや、強迫性障害(OCD)という病気のことなどを、忘備録として記すことにしました。※強迫症とも呼ばれています。

また、同じ病気で戦っている方へ、少しでも参考になれば幸いです。

【不登校になるまで】始まりは些細な違和感から

一番最初に、違和感を感じた出来事を話そうと思います。

ある日、「階段横に置いてある「すみっコぐらし」の小さなパーツを、鼻に入れてしまわないか心配」と娘が言いました。

こう言われたら、普通は一瞬「?」となりますよね。

私は昔から心理学など興味があったので、「強迫性障害っぽいことを言うなぁ」と思いました。(実際、ビンゴでした(;’∀’))

冗談ではないことは娘の表情からも読み取れたので、なるべく安心できるように、「この手の心配は誰にでもあるよ」と説明しました。

私も子供の頃、ブランコに乗っていて「両手を離したらどうなるだろう?」と何度も考えて怖くなったことがありましたから。

旦那も「俺も自転車に乗ってて両手離したりしてたよ~」と応戦してくれて、娘も「自分だけ変な考えではないんだ」と思ったのか、少し安心したようでした。

娘には、また鼻に入れたい衝動が出たら教えてと伝え、そのすみっコぐらしのパーツ(タピオカ・笑)はゴミ箱に捨てました。

この時はまだ、娘が不登校にまで発展するとは、夢にも思っていませんでした。

【不登校になるまで】イヤイヤ期が無かった幼少期

娘はあまり手が掛からない子でした。

2歳頃に始まる「イヤイヤ期」もほとんど無く、逆に少し心配だった記憶があります。

お昼寝をした娘を、早い時間で起こしてしまった時だけグズっていましたが、それはある種の寝ぼけ状態で、意思を持ってグズることは少なかったように思います。

性格も優しく平和主義で揉め事などを嫌い、お友達とケンカをしたこともありません。

どちらかと言うと、自分の意思を通すより周りに合わせるタイプです。

保育園の頃も、こんな優しい(悪く言うと気弱)な性格で、お友達とやっていけるのか?と不安になりました。

しかし、親の心配を他所に気の強いお友達に気に入られて、よく一緒に遊んでいました。

娘なりの処世術を身に着けていたのかもしれません。

【不登校になるまで】宿題の多さにイライラする娘

小学校に入学してからも、勉学も真面目に取り組んでおり、通知簿渡しの際は、毎年先生に褒められました。

意外だったのは、気が弱いと思っていた娘ですが、クラスで少し手を焼く男の子なども自分から輪に引っ張って、皆をまとめる力もあったようです。

親としては、気弱な部分が少しでも改善しているなら、この先も安心だなと思っていました。

しかし、4年生に上がってから宿題の量が増えたせいで、「早く遊びに行きたいのに宿題が終わらない」と言って焦る娘を度々見かけるようになりました。

今思えば、この時に宿題の量をチェックするなど、もっと気にかけてあげれば良かったと悔やまれます。

4年生になってから、算数ドリルや漢字ドリルにプラスして、「自学」という自主的に学習する宿題が加わりました。

自学は、ノートの見開き1ページを算数の問題を解いたり、漢字を書いたりと自分で好きなように学習するものでした。

そのノートの出来が優秀な子は、クラスから何名か選ばれて廊下に貼られるとかで、娘はそれを目指して頑張っていたのです。

段々と、宿題に時間がかかり、イライラしたり仕舞いには泣き出すことも。

どうも様子がおかしいので、宿題の内容を見せてもらった時に、これを毎日こなすのは子どもには荷が重いのでは!?と驚きました。

その上、ビッシリと文字が並んだ自学ノートを見た時も、「これは大人でもしんどいわ・汗」と思いました。

宿題の量は地域差や担任の先生にもよると思いますが、私たちの地域は全国的にも小学生の学力が上の方なので、学校側も力が入っているのかもしれません。

担任の先生にも相談して、自学ノートを見開き半ページに減らしてもうらことにしました。

その時は既に4年生の3学期が終わる1週間前くらいです。

そうです、私たち親が気付くのも、その対策も既に遅かったのです。

そこから強迫性障害の症状が一気に爆発した「地獄の春休み」が始まります。

長くなったので、次回に続きます。

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